トロワ乙姫 と ヒイロ浦島太郎
ある日の事。ヒイロが海岸を歩いていると、小さな子供達が集まって何やら騒いでいるのが目に入ってきた。どうやら足元にいる何かに向かって盛んに、何事かを囃し立てているらしい。
彼等の足元にいたのは、一匹の亀であった。
数人の子供達に周りを囲まれてしまっては、亀の足では到底、逃げ出す事も出来ないのであろう。かといって刃向かう力があろうわけもない。為す術も無く、ひたすら子供達の仕打ちに耐えている様子であった。
それは、あまり見ていて気持ちの良い光景ではない。
思わず足を止めてしまったヒイロの存在に、子供達の方が気が付いた。
「何か用?」
恐らく、そんな内容の言葉を口にしようとしたのであろう。
しかし子供達は皆、ヒイロの纏う、ただならぬ気配に一瞬で圧倒されてしまった。そして次の瞬間、言葉にならない声を発しながら一目散に逃げ出した。
残されたのは、一匹の亀。
いきなり静かになった事に警戒しながら、それでも、おそるおそる周囲を確認する。そこでやっとヒイロに気が付いたのか、ヒイロの事をジ〜ッと眺め始めた。
その睨み合いは暫くの間 続いたが、突然に終わりを告げた。何故なら、ヒイロの目の前にいきなり白煙が立ち上ったからである。
何事が起こったのかと、咄嗟に身構えるヒイロ。
しかし白煙はすぐに消え去り、煙と共に亀の姿も消えていた。
代わりに一人の男が、先程まで亀がいた筈の場所に立っていたのである。
そんな登場の仕方をしたにも係わらずその男は、特に奇異な風貌をしているわけではなかった。身長も、恐らくヒイロと同じくらいであろう。
だが唯一、普通と違っていたのは、背中であった。なんと背中に、亀の甲羅のようなものを背負っていたのである。
「助かったぜ〜。アンタが俺を助けてくれたんだろ?」
開口一番に、そんな言葉を口にした男は、自分の名前をデュオと名乗った。
「この姿になっちまえば、あんなヤツらから逃げ出すのなんてワケないんだけどサ。余程の事でもない限り、変化可能な事を人間には知られるなって、掟で禁じられてるんだよ。厄介なヤツらに絡まれちまって、どうしようかと思ってたところだったんだけど……………………って、オイ!」
デュオの話も終わっていないというのにサッサと踵を返そうとしたヒイロに向かって、当然のようにデュオから非難の声が上がった。
「人がまだ話してる途中だってのに、どこ行くつもりだよ」
しかし、引き止めようとしたデュオに対してヒイロが取った態度は、非常に素っ気ないものであった。
「俺は別に、お前を助けたわけじゃない。俺が助けたのは、亀だ。その亀が、お前のようになれると知っていたら、助けてなどいない」
「またまたぁ〜。そんなコト言っちゃって、ホントは困ってるヤツを見過ごせないタイプなんじゃないの〜?」
そんなデュオの言葉は、事態を改善するどころか、むしろ悪化させてしまっただけであった。人間、図星を指されると怒りを感じたりするものである(笑)。ヒイロが剣呑な雰囲気を纏ったのを見て、やっとデュオも自分の失言に気が付いた。そして慌てて話題を変更する。
「………ま、まぁ、そんなコトはともかく。アンタが助けてくれたのは事実だからサ。俺としては是非、礼がしたいんだけど……勿論、構わないよな?」
デュオとしては、断られる事など予想もしていなかったであろう。だが残念ながらヒイロの返答は、先程のものよりも更に素っ気なかった。
「断る」
「何でだよ!? ただ礼がしたいって言ってるだけだろ。そっちには何の損もないじゃねぇか」
「お前のような胡散臭いヤツと関わるのはゴメンだ」
「そりゃ確かに、出会ってすぐのヤツに突然、礼とか言われても不審に思っちまうのは仕方ないけどサ。ウチにはメチャメチャ口煩いヤツがいてさ。ここでアンタを黙って帰したりしたら、きっと俺、スゲー怒られちまうと思うんだよね。“恩人に、礼もしなかったのか……?”―――って」
立ち去ろうとヒイロが歩き出しても、後を追うようにデュオは付いてくる。このままでは、どこまででも付いてきそうな気配を感じて、仕方なくヒイロは足を止めた。
「お前が、黙っていればいいだけの話だろう」
「そうもいかないんだよ。今頃は、絶対に誰かが、さっきの出来事を報告してるだろうからサ。
だから、頼むから受けてもらえねぇかな? スゲー綺麗な場所にも連れて行ってやるし。普通の人間ならば、まず辿り着けっこない、レアな場所だぜ? そこには、凄い別嬪もいるし」
「そんなものになど興味は無い。俺は、帰らせてもら……」
しかし、そこまで口にしたところでヒイロの言葉が、突然に止まった。表情は更に硬さを増し、一点を凝視している。
どうやら、何かを見つけてしまったらしい。
一体、何を見つけてしまったのであろうかと訝ったデュオが、ヒイロの視線の先を辿ってみれば、一人の女性がこちらに向かって走ってくるところであった。
彼女は、ヒイロの知り合いなのであろうか。
「お前………確か、デュオとか言ったな?
確認する。俺達が、これから行こうとしている場所は、普通の人間ならば辿り着けない所なんだな?」
突然、何故そんな事を改めて確認してくるのかデュオには見当も付かなかったが、ヒイロが尋ねてきた事は真実であったので、素直に肯定の言葉を返した。
すると今度は、こんな事を確認してくる。
「その場所には、今すぐにでも行けるのか?」
この質問に対する答えも Yes である。
「アンタが承諾してくれさえすれば、今すぐにでも行けるぜ?」
「ならば連れて行け。今すぐに、だ」
「は……?」
急変してしまったヒイロの態度について行けず、思わず惚けた返事をしてしまうデュオ。そんなデュオを、今度はヒイロの方が急かすように言葉を重ねた。
「聞こえなかったのか? 今すぐに連れて行けと言ったんだ」
しかし先程の女性は、今度はハッキリとヒイロの名前を口にしながら、こちらへと駆け寄ってくる。
「彼女、知り合いなんじゃないの? 置いていっちまって、いいのかよ?」
当然とも言えるような質問をしたデュオであったが、それに対してヒイロは 「……俺を連れて行くつもりがないのならば、もういい」 と言ったかと思うと、その場から立ち去ろうとさえする。それを慌ててデュオが引き止めた。
「わわっ、分ーかーったよ! 今すぐに連れて行くから」
そらよっ!というかけ声と共に、四つん這いになる。
「甲羅の上に跨ってくれ。俺が運ぶから」
そんな珍妙な申し出に、ヒイロは思いっきり不審の眼差しを向けた。
しかし足音は、段々と近づいてきている。躊躇している暇は無い。
すぐに気を取り直すとデュオの指示通り、甲羅の上へと跨った。
自分の甲羅の上にヒイロが乗った事を確認すると、デュオは 「じゃ、行くぜ〜」 と一声掛けてから、海へと向かった。そのまま、ズンズンと海の深い所に向かって潜っていく。
水の中に入った瞬間、条件反射のように咄嗟に息を止めてしまったヒイロであったが、すぐにデュオから声が掛かった。
「俺の背中に乗ってる限り、水の中にいても普通に呼吸が出来る筈だ。息を止めていなくても大丈夫だぜ」
それは、俄かには信じ難い事であった。
だが水の中にいる筈なのに、地上にいる時とほぼ同じ様な視界が確保できているということ自体、既に異常な状況である。こんな事が起こってしまうのなら、水の中で普通に呼吸が出来てしまったとしても、不思議ではないかもしれない。
それに、普通の人間よりも長い時間、息を止めていられる自信があるとはいえ、いつまでも息を止めていられる筈もない。長い時間、水の中を移動しなければならないのであれば今の内に、その言葉が真実であるかどうか、確認しておいた方が賢明というものでろう。さほど深くまで潜っていない今の内ならば、もしもデュオの言葉が真実でなかったとしても、自力で対処する事も可能だ。
そう判断したヒイロは、少しだけ息を吸ってみた。
するとデュオの言葉通り、地上にいた時と同じ様に呼吸が出来たのである。水が体内に入り込んでくる事もない。
それに安堵して、息を大きく吸い込むと、呼吸を普段通りのリズムへと戻してゆく。
ヒイロが落ち着いたのを見て、デュオは更に潜行スピードを上げた。
「そんじゃ、本気出して行きますか〜」
今までとは比べものにならないくらいのスピードで、更に海の深い所へと潜っていく。
どうやらデュオは、この特殊な状況にヒイロが馴染むまで、加減してくれていたようであった。
そうして暫くデュオの背中に跨っていると、前方に大きな建造物が見えてきた。
どうやらそれは、城のようである。
先程から信じられないような事ばかり起こっていたが、こんな場所に、こんなものが存在している事にも、やはり驚きは隠せなかった。
そんなヒイロに向かってデュオが、こう告げる。
「あれが、竜宮城だぜ」
その城は、よほど大きなものなのであろう。かなりのスピードで向かっている筈だというのに、姿が見えてから暫くしても、中々そこへと辿り着けなかった。
やっと門の前へと辿り着くと、その門がゆっくりと開いていく。するとデュオは躊躇する事なく、その門の中へと入っていった。二人が通り過ぎると、開いた時と同じ様に、門がゆっくりと閉じていく。
門の中は、四方が壁で囲まれた、ちょっとしたホールになっていた。正面奥には、入ってきた門と同じ様な造りの門が、もう一つ見える。
デュオがそのホールの床へと降り立つと、それを待っていたかのように、ホールを満たしていた海水が、真ん中からパッカリと割れた。割れた隙間に出来た空間は徐々に広さを増していき、それに伴って、ホールの中を占める海水の面積がどんどん狭くなっていく。
ついには、全ての海水がホールから消えてしまった。
どんな仕掛けかとヒイロが思案を巡らせていると今度は、気持ちの良い風がフワリと全身を包み込む。その風は、一瞬の内に消えてしまったが、今の風のお蔭で自分の服や髪が、すっかり乾いている事にヒイロは気が付いた。先程まで水の中にいた筈なのに、その痕跡などカケラも残ってはいない。
背中からヒイロを下ろし、隣に立ち上がったデュオも同様に、やはり水の中を通ってきた事など嘘のようであった。
何故こんな事が起こるのか理解できず、不思議がっている気持ちが表情に出てしまっていたのか、そんなヒイロを見てデュオは、満足そうな笑顔を浮かべた。
「な、来て良かっただろ? でも、まだまだこれからだぜ。一番の “驚き” は、あの門の向こうからやってくる。ウチの姫さんは、それはもう別嬪だからな。驚くなヨ〜」
そう自慢げにデュオは、自分達が入って来たのとは反対側にある門を指し示した。すると、その門がゆっくりと開き始めたのである。
門の中から現れたのは、たくさんの供を従え、艶やかな衣装に身を包んだ、一人の姫であった。
デュオの言葉通りその姫は、とても端整な顔立ちをしていた。
あまりの美貌に、思わず見惚れてしまったヒイロが声も出せずにいると、姫はその顔に柔らかな笑みを浮かべた。すると、ますます姫の麗しさが増し、ヒイロは更に言葉を失ってしまう。
「デュオが世話になったそうだな。礼を言う。俺は、この城の責任者のトロワだ。“乙姫”と呼ぶ者もいるが、どちらでも好きな方で呼んでくれて構わない。
デュオは、俺が預かるこの城の一員なのでな。そのデュオが世話になったからには、出来る限りのもてなしをさせてもらうつもりだ。少しでも楽しんでもらえれば有り難い」
しかし、そこまで述べても何の反応もしてこないヒイロを、さすがにトロワも訝しく思い始めたようだ。
「もしかして、ここまで慣れない移動をして疲れたか? ならば、すぐにでも休めるよう、部屋へ案内させるが……」
そんな言葉を聞いて、やっとヒイロは我に返った。
慌てて、大丈夫だと告げるが、姫は愁眉を開いてはくれなかった。
「無理はしない方がいい。礼を述べたくて招待した大事な客人に無理をさせ、体調を崩させてしまったとあっては、申し訳ないどころでは済まないからな。ゆっくりと休息を取ってもらった後、また明日にでも、改めて席を設けさせよう」
そんな風に姫が自分の身体を気遣ってくれるのは、とても嬉しかったが、部屋へ案内されるという事は、つまり姫とは、この場で別れなければならないという事だ。ほとんど言葉も交わしていないというのに、ヒイロはこのまま姫と別れてしまいたくなどなかった。
その気持ちを言葉にして伝えたいのに、どうしても上手い言葉が見つけられない。その事に動揺し、ますます言葉を失ってしまう。
そんなヒイロをフォローしてくれたのは、楽しそうな顔をしながら二人の遣り取りを見ていた、デュオであった。
「大丈夫だぜ、トロワ。これは疲れてるんじゃなくて、口下手で言葉が出ないだけ、みたいだから」
「………そうなのか?」
確認するような視線を向けてきたトロワに向かってヒイロは、ひとまず頷いてみせた。デュオの言葉に、色々と異論を唱えたい気持ちはあったが、大筋は間違っていなかったので。
「ほらな。だから気にしないで、歓迎の宴でも何でも開いて、もてなしてやってくれ。疲れているように見えたら、その時は、たとえ宴の途中だったとしても俺が、部屋へ連れて行くからサ」
その言葉を聞いて、やっとトロワも愁眉を開いてくれた。了承の意を示すと、指示を出すべく、後ろに控えていた者達の方へと振り返る。
トロワの視線がヒイロ達から外れると、その隙を狙ったかのように、すかさずデュオがヒイロの耳元に口を寄せてきた。
「ウチの姫さんを初めて見たヤツは大抵、さっきのアンタみたいに、見惚れて言葉を失っちまうもんなんだ。だから、気にする事はないゼ」
笑顔でそんな事を言ってくるデュオに対してヒイロは、先程の分も含めて不満を述べようとしたのだが、それよりも早くトロワの視線が戻される。その為ヒイロは、仕方なくデュオへの苦情をしまい込んだ。
一方トロワは、二人の間でそんな遣り取りが行われていた事になど少しも気が付いていない様子で、デュオに対しても気遣うような言葉を掛けてきた。
「デュオも、今日は災難だったな。怪我などは、していないのか?」
しかし、その言葉にデュオが応じるよりも早く、言葉を返してきた者がいた。
「そんな気遣いの言葉など、コイツに掛けてやる必要は無いぞ、トロワ」
それは、トロワのすぐ後ろに控えていた、五飛であった。
「油断して、亀の姿で暢気に浜辺で日光浴などしている方が悪い。自業自得だ」
そんな事を言われては当然、デュオも黙ってなどいなかった。
「言いたい事、言ってくれるじゃないの」
「事実だろうが……」
「別に、油断してたわけじゃねぇよ」
「ならば、なおさら悪い。油断していたわけでもないのに、あんな事になってしまうわけだからな」
「そこまで言うか!」
まるで小学生のような言い争いを派手にし始めた二人を見て、どうやらデュオの身体も心配なさそうだと安堵したトロワは、苦笑しながらヒイロへと向き直った。
「騒がしくて、すまないな」
だがヒイロからは、間髪を入れずに「気にしていない」という言葉が返ってくる。
それを聞いてトロワは安心したように「そうか……」と微笑んだ。
「では、広間へと案内しよう。宴の支度も、じきに整うだろう」
そう言ってトロワは、広間へと足を向けたのであった。
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